「そうそう、そんなこともあったわ」(´▽`*)
「僕もこんなことがあって」
ひゃらひゃらと二人の笑い声が美容院に響きわたる。
何を話しているのかというと、昔話。
静かな美容院に、美容師さんと二人がそろうとひゃらひゃら、ぶはははと
そこだけ浮いているような空気が流れる。
美容院の椅子に座った途端に本日の話題が決まる。日頃の話し、お金の話し、陰謀論などなど話題は尽きない。
今日の話題は、自分たちの学生時代について花、花、花が咲き誇っている。
花さかじいさんが私たちのまわりで灰を巻きまくっているんじゃなかろうか
というくらい、花が咲いて咲いて咲きまくっている。
「最近、学生時代の先生にあったすよ」
から、始まったお互いの学生時代の話題。
「昔は、やる気がなくって体育のじかんに
その先生に壁に頭をずーと打ち付けられながら体育館を追い出されたすよ。
今ならそれが体罰に絶対になるすっけど、そんな時代もあったすね。(笑)
今じゃ、二人であんな時もあったなぁなんて笑ってたんすよ。」
なんて、話を聞いた途端、学生時代の頃のことが鮮明に。
私の時も体罰なんて言葉がないと等しいに生きた時代
うけました、うけました、愛のムチ。
ド田舎の学校なのでドラマに出てくるようなあこがれの学校帰りにカフェに行ったりスーパーに寄ったりなんて禁止。(ていうか、寄る店もない)
当然、食べ歩きなんてもってのほか。
授業がおわったら部活をして直帰が模範の生徒の姿。
ですが、学校から家まで徒歩片道40分。山を一つ越えるという今では考えられない大偉業を毎日やっていました。五十三次の一場面に入れて頂きたいほどです。
当然学校帰りはお腹がぺこりん。一つの山を越えるのは修行です、修行。
いつも登下校一緒の6人の顔は能面です。
中学3年生、部活も卒業、お昼に帰宅の時間もでてきたころ
ある日、ある能面の一人が、
「唐揚げ作ってきたの!」
と、大きなお弁当箱をぱかっと開けた途端のみんなの声、
オリンピックの金メダルを取った時の声援のように
「お お お お お !」と歓喜が。
それに加え。能面の顔が一気に七福神の顔のように変化。
唐揚げが神々しく私たちを誘ってきます。
校則という言葉はどこへやら、1%たりとも脳裏にありません、状態。
水を得た魚のようにみんなの会話も饒舌に。
片手にチキン、口は公演会をやっているかのように話しつづけ、6人は各自、無事帰宅しました。
後日、朝の会。
先生「○○、〇〇、.....前に出てこい」
と、5人の名前が呼ばれ(一人は違うクラスなのでセーフ)
「????? 何かしたっけ?」
「○月○日、帰り道歩きながら何を食べとった?」
あ!
あちゃ~😵あれをされるんだと一瞬にして脳裏に駆け巡ります。
私たちのクラスは違反者にはバツとして、先生が生徒のもみあげをつかみ、一緒にダッシュをするという一種の行事がありました。
前に並んだ瞬間、顔を覆うもの、不機嫌な顔をしたもの、チクったのはだれだと言わんばかりの顔のもの、いろいろと表情を浮かべたものが並ばされました。
「さあ、誰からいこうか」
と一人ずつ、悲鳴と共に遠くに消えます。悲鳴を上げるのは当然です。走っている時の重心がもみあげなのですから。
次は私の番。もみあげに先生の指がセットされ
「さあ、いくぞ!」
うりぁ、と思いっきりダッシュ💦
「痛い、いたい、いたぁぁぁい、あーーーーー」
愛のムチを受けました。
あの時は「チキンが世界を救う」くらいの気分だったのです。
でも、愛のムチは今では良い思い出。
先生やみんなとあったらやはり美容師さんと同じように笑って話すのでしょう。
早くも一年が過ぎようとしています。
月日はあっという間に過ぎ去り、ふと振り返ると、あの頃のことが懐かしく、ふと浮かんでくることが多くなります。
そんな時、過ぎ去った日々を回顧しながら、ひとり静かな時間を過ごすのも一つの贅沢ではないでしょうか。あの頃の楽しさ、笑い、ちょっとした小さな喜び—それらは時間と共に色あせることなく、今でも心の中にしっかりと根付いています。
思い出に浸りたい方
「おひとりさま酒器」や「汽車土瓶」
をお供に、時をすごしてみませんか?
ひとりだけでもあの時の楽しさに思わずつつみこまれ、ふと含み笑いをしながら充実した時間が過ごせるはずです。
おひとりさま酒器、汽車土瓶は徳利と盃などがセットになったとても便利な酒器。
片付けの際は、全部一つにスタッキングができるので場所を取りません。
お酒の苦手な方には、お茶を入れたりあなた次第で使い方も変えられます。
皆様、良いお年をお迎えください。
2025年も、アワサカを宜しくお願いいたします。
素晴らしい一年が皆様に訪れますよう、心よりお祈り申し上げます。
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